琵琶湖戦線 戦傷修理
本題に入る前に…
昨日まではちまるはビョーキでした。それはもう苦しい苦しい、熱が39度台でましたよ。
もともと風邪ひいても熱なんて微熱程度しか出ないヒトだから、今回の高熱は絶対おかしいと感じて調べたら、やっぱりその通り。この季節に猛威を振るうあのウイルスのA型がガッツリ感染していやがった。
高熱出すのは本当に久しぶりで、体を動かすのも苦痛なので看病してほしいのはやまやまだったのだが、敵はあの伝染性においては悪名名高いヤツである(Ex:スペインかぜ)。
とにもかくにも家族への感染を阻止することを第一目標にすえ号令、
「一時の感情に流されて大局を見失うな、各員第一級防疫配備!」
かくしてはちまるは書斎(一部では奴隷部屋とも呼ばれている…)に隔離。
トイレも別として可能な限り動線が交わらぬよう対策。
家族との接触を一切断ち、メールで必要物資の書斎戸外配給を要請し、あとは自分の力のみで生き抜くべし…
とがんばってみたものの、いやはやつらいものでした。
高熱で寒気はするのに暑い。暑いのにゾクゾクする。体中の筋肉は痛い。
頭痛もひどく、光が強いと頭痛が増すため朝日がつらく、携帯電話の画面が見れない。メールも打てん。
唯一の補給要請路まで断たれるのか…
などと思いつつ2晩の眠れない苦痛の夜を超え、なんとか峠を越えたのが今日です。。。
小学生時に高熱でソーセージに襲われる夢を見てうなされた時以来の苦痛でした。
もうしばらくはウイルス排出の可能性があるので、あと2日間は隔離生活ですが、
峠を越えた後の病み上がりのけだるさは戦勝後の残敵掃討…わかりにくいか、
マラソンを走り終えた後のやりきった感を伴う疲れなので、清々しくもあります。
琵琶湖作戦でメキシカンオレンジさんと「やはり健康が一番ですね」なんて言っていたのだけれど、
その言葉を強烈に自覚させてくれました。
ああ しどかった。
前おきが長くなりましたが。。
そんなこんなで琵琶湖作戦後の巡航機を整備した記事が書けていなかったので、書きます。
とりあえず帰宅まで全く順調に走ってくれたので機関部に関しては全く問題なしと判断。
林道戦闘と違って舗装路ですからね。10km以上走ったら壊れるバイクだなんてもう言わせません(笑)
暗峠でのクラッチアウターの変化をチェックしてみました。
全くやけていませんでした。
11T-36Tであったこと、あとクラッチアウターが前期型で分厚かったことが影響したのかもしれません。
この後後期型に戻しておきました。
あと、琵琶湖西岸を南下しているときにガス欠のためかエンストし、なかなか始動しなかったため久しぶりにキック始動をしたところ、その後からかすかにカツン カツンと時折聞き覚えのある音が…
ああキックのギアが緩んだな。
これですね。
皆さんのコメントから得た情報をもとに、
このギアのクリップを外して
グギギギ…
クリップを締め上げてギアの動きを固くします。
さらにグリスを塗りこんで終了。
軽整備で日常使用機に復帰です。
現在金属カム組み込み後3200kmですが未だ健在。実験は続きます。